自尊心を傷つけないように

認知症のお年寄りの介護をすすめるうえで、最も基本となるのが、「接し方」です。接し方によっては、お年寄りの自尊心をひどく傷つけたり、不安や混乱を強めてしまいます。その結果、認知症状態の悪化に拍車をかけることになります。好ましい接し方は、老人の気持ちを安定させ、不安や混乱の軽減につながります。

 


認知症のお年寄りと接していくには、まずそのお年寄りの特徴を知ることです。記憶障害や見当識障害、判断や推理力の低下、常識の低下などにくわえて、適切に意思表示ができず、話の内容も完全に了解できないために、お互いの意思を伝え、理解させることがきわめてむずかしくなります。

 


 感情面は認知症状態が高度になっても保たれています。認知症が軽度や中等度のころは、むしろ敏感になっているために、周囲の人の好ましくない接し方はお年寄りの気持ちをひどく傷つけることになります。
 お年寄りは、長いあいだそれぞれの生き方をしてきました。したがって、一人ひとりのお年寄りに合わせた接し方が必要です。そのためには、認知症の原因疾患や身体合併症、コミュニケーション障害、個人の性格、生活歴、習慣などの情報を得ておく必要があります。またお年寄りの生きてきた文化的背景を知っておくことは、認知症のお年寄りと接していくうえで、とても役に立ちます。



認知症のお年寄りは、理解できない行動をとることがしばしばあります。お年寄りの間違った行動に対し、叱ったり、訂正したり、説得や強制的な指導をすることは無意味です。お年寄りは叱られた原因は忘れてしまいますが、叱られたときの屈辱感は残ります。同じようなことが度重なると、お年寄りをうつ状態にしたり、ときには攻撃的にさせたりします。

小石よりみかんのほうがおいしい

◎異 食
 認知症状態が高度になると、食べられるものと食べられないものの区別がつかなくなります。
そのため目にふれるものはなんでも口の中に入れてしまうお年寄りがいます。タバコの吸い殻、石鹸、クレヨン、スポンジたわし、アルミはく、化粧品、小銭などです。口に入れて危
険と思われるものや薬品は、お年寄りの目にふれない場所に片付けておく習慣をつけます。
ゆるい入れ歯や小さな入れ歯も、飲み込む恐れがあるので注意します。
 お年寄りが異物を口の中に入れたときは、あわてず、「出して」といってみます。話が通じないときは、お年寄りの好きな食べ物をみせてかえてもらうとよいでしょう。


 九二歳のK婦人は一本も歯がありません。いつも口を「もごもご」動かしながら、老人ホームの廊下をゆっくり歩いています。あるとき、Kさんの脇を通ったら、口の中から「カチャカチャ」という音がかすかに洩れてきました。「Kさん一つ頂戴」と手の平を出すとぽとりと口から出してくれました。
 それは植木鉢などにのせてある小指の先ほどの小石でした。口の中にはまだたくさんはいっています。「もう一つ頂戴」といったら、Kさんはきつい目でにらみかえしました。
 彼女の手をひいて事務所に行き、「Kさんにお菓子をくださいな」といったら、寮母がチョコレートを一個見せてすすめましたが、Kさんは一向に反応しませんでした。
「みかんがいいわ」。みかんを見たKさんは、「お、お」と目を輝かせました。寮母がみかんをむきはじめると、じっと見つめています。私はKさんの右背後に立って、左手でKさんの左肩を抱くと同時に、右手の人指し指を口の中に入れて、数個の小石を素早く取り出しました。「がわ!」とKさんは怒りましたが、房をきれいに取ったみかんを、寮母が口に入れてやると、おいしそうに食べ始めました。