〈ふるさとの言葉に耳を傾ける〉

 

八○歳のTさん(女性)は、松本市で生まれ、そこで一人暮らしをしていましたが、七○歳を過ぎたころ、息子と同居するために上京しました。共働きの息子夫婦にかわって、家事一切と孫の面倒をみていました。数年後、軽度の認知症状態になりましたが、家事や孫の世話はほぼできていました。

ある日、妹が危篤だという知らせがあって、一家で松本市に行きました。Kさんの痴呆状態は、その晩から急に悪化して、ひどい混乱状態となってしまいました。帰宅してからも状況は変わらず、息子夫婦や孫の顔もわからなくなってしまい、「家に帰らせていただきます」と風呂敷包みを持ってたびたび外に飛び出しました。出先で転倒し、頭部に外傷を受けて入院してきました。

Kさんは興奮してしゃべり続けましたが、断片的で意味はわかりません。若いころの出来事のようです。「よう、よう、私はどうすればいいの」と、目覚めている間中、わめきたてました。食事は何とか食べましたが、その他のケアには一切応じませんでした。

Kさんに近づいて話しかけると、ますます興奮して看護者に唾をかけたり、ひっかい
たり、蹴とばしたりしました。Kさんをなんとかトイレに誘導しようと思い、トイレ、便所、ちようず場などと、言葉を変えて誘ったものの、効果がありませんでした。
困り果てていたとき、松本出身の年配の看護婦が、幼いころ聞いた方言を思い出して、「しっこまる?」と声をかけたら、「まろうか」とKさんは、椅子から立ち上がって、看護婦の後についてトイレに行きました。Kさんは一人で排池をすませ、後始末もできました。方言で呼びかけたことで、了解してもらえた例です。


認知症のお年寄りの多くは、自分の年齢を正しく把握していません。したがって、自分が老人であるという自覚もない人がいます。そうした方に対しておばあちゃん、おじいちゃんと
呼ぶことは好ましくないことです。さらに、お年審鋤りの中には自分の名前を忘れている人もいます。八二歳のAさん(女性)は、結婚前の旧姓を名乗っていました。姓だけではなく、親が付けてくれた「いさお」という名を男のようだと嫌って、幼いころから、「お糸ちゃん」で通してきたため、入院した日から、看護者のほうが混乱してしまったことがありました。
八六歳のGさん(女性)は、「お名前は?」と尋ねられると、「そんなものどこかに捨ててきちゃった」といいます。「G・Mさんね」と問いかけると、「そうだったかしら? そんなもんね」と首を傾けて笑います。
認知症状態が高度になると、自分がだれであるかわからなくなってしまいます。自分の姓名を忘れるのは、男性よりも女性のほうが多いようです。現在、認知症状態にある女性は、女性が社会に進出して、自己主張するという機会は少なかった世代です。結婚すると夫から、「おい」とか、「おまえ」と呼ばれ、子供たちからは「お母さん」、孫からは「おばあちゃん」、近所の人からは「奥さん」と呼ばれてきました。姓名なしの生活が可能だったわけです。
認知症のお年寄りには、いつまでも自分がだれであるか自覚できるように、折にふれて姓名で呼びかけることはとても大切なことです。

 

血圧の測定

血圧の測定は座った状態で行うことである。降圧薬を使用中の老齢の患者で、ふらふら感、めまいなどを訴える場合に、ベッドに横になった状態と椅子に座った状態とで血圧を比較してみるとよい。横になった状態で血圧がちょうどよくコントロールされているようにみえても、椅子に腰掛けてみると血圧がかなり低く、低血圧になっている場合がある。このような患者では降圧薬を中止したり減量することによって、認知症に似た症状が軽くなることがある。人間は起きて活動する動物なので、血圧のコントロールは少なくとも座った状態で測定しなければならない。寝た状態で正常の血圧を示す高齢者では、起き上がった時にはむしろ低血圧になる(起立性低血圧)かもしれないので注意が必要である。
 

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