小石よりみかんのほうがおいしい

◎異 食
 認知症状態が高度になると、食べられるものと食べられないものの区別がつかなくなります。
そのため目にふれるものはなんでも口の中に入れてしまうお年寄りがいます。タバコの吸い殻、石鹸、クレヨン、スポンジたわし、アルミはく、化粧品、小銭などです。口に入れて危
険と思われるものや薬品は、お年寄りの目にふれない場所に片付けておく習慣をつけます。
ゆるい入れ歯や小さな入れ歯も、飲み込む恐れがあるので注意します。
 お年寄りが異物を口の中に入れたときは、あわてず、「出して」といってみます。話が通じないときは、お年寄りの好きな食べ物をみせてかえてもらうとよいでしょう。


 九二歳のK婦人は一本も歯がありません。いつも口を「もごもご」動かしながら、老人ホームの廊下をゆっくり歩いています。あるとき、Kさんの脇を通ったら、口の中から「カチャカチャ」という音がかすかに洩れてきました。「Kさん一つ頂戴」と手の平を出すとぽとりと口から出してくれました。
 それは植木鉢などにのせてある小指の先ほどの小石でした。口の中にはまだたくさんはいっています。「もう一つ頂戴」といったら、Kさんはきつい目でにらみかえしました。
 彼女の手をひいて事務所に行き、「Kさんにお菓子をくださいな」といったら、寮母がチョコレートを一個見せてすすめましたが、Kさんは一向に反応しませんでした。
「みかんがいいわ」。みかんを見たKさんは、「お、お」と目を輝かせました。寮母がみかんをむきはじめると、じっと見つめています。私はKさんの右背後に立って、左手でKさんの左肩を抱くと同時に、右手の人指し指を口の中に入れて、数個の小石を素早く取り出しました。「がわ!」とKさんは怒りましたが、房をきれいに取ったみかんを、寮母が口に入れてやると、おいしそうに食べ始めました。