認知症と告げられて

父は57歳で認知症と診断されました。

認知症って

この二○年ほどの間に、わが国ではお年寄りについての関心や論議が高まってきています。
その背景には、近年の急速な高齢人口の増加があり、それによってお年寄りをめぐる経済、住宅、福祉、健康などのさまざまな問題が起きているからです。
高齢化に関する問題は、単にお年寄りだけの特別な問題ではありません。若者と呼ばれる人たちもやがてその仲間入りをするわけですし、また、お年寄りと接する機会やお年寄りのために仕事をする人たちも増えているからです。老若男女を問わず、だれにとっても重大な問題であることは多くの人が気づいているところです。
多くの人びとがお年寄りをめぐる家庭や社会の問題を考えるようになりましたが、科学的な究明はまだ十分とはいえません。誤った理解がされている点も多く、事実をできるだけ正確に知っておくことは高齢化社会、とくに認知症をはじめとするお年寄りの心身の健康について考える上で重要なのです。

認知症がこれほどまでに多くの関心を呼ぶのは、なんといってもお年寄りの病気のなかでもとりわけ対応が困難だからだ、と思います。また、お年寄りの精神障害の全体についてみても認知症の頻度が高いからです。しかし、残念ながら認知症の一部は、まだその原因が十分に解明されていません。


認知症とは、正常に発達した知能が慢性的に低下した状態をいいます。詳しくいいますと、成人まで正常に発達した後に、脳の障害によって慢性の病的な知能低下の状態が認められたとき、認知症と呼びます。したがって、認知症と区別されなければならないものには正常な精神老化、意識障害精神遅滞(薄弱)、神経学的巣症状、機能性精神障害などがあります。これらについては後に詳しくふれます。
認知症を起こす原因は、脳のほかに身体にある場合もあります。つまり身体の障害によって二次的に脳に障害が起こり、認知症が発生することがあります。また、かつては認知症は治らないものとされてきましたが、今では治療によって治る場合もあります。つまり、認知症は治らないというのは誤った考えで、認知症の原因となる身体や脳の障害を除去したり、治療することによって認知症の一部は治すことができるのです。
一方、「ぼけ」ということばがしばしば用いられますが、ぼけは通俗的なことばであって
専門用語ではありません。ぼけということばは、正常でもよくみられるうっかりしたミスや勘違いに対して用いられることもあれば、だれにもある物忘れに用いられることもあります。
また、先に述べたような認知症と同じように用いられることもあり、解釈のされかたはさまざまです。ぼけということばはあいまいなので、使うときはそのつど意味をはっきりさせる必要があります。
さて最近、高齢化社会の到来ということばをよく耳にします。そうしたこともあって、お
年寄りの問題への関心はますます高まっています。「老い」の問題は、だれもが真剣に考えねばならないことなのですが、年をとると「おいぼれてしまう」「認知症になってしまう」という不安が先に立ち、年をとることから眼をそむける傾向があるように思います。
また、お年寄りの域に達するまでひたすら働き続けた人が、老後への心構えも十分にできないうちに気がついたらすっかりお年寄り扱いされていた、というような現実もあります。

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父とケンカ(原因は・・・)

-------長くなりそうなので2回に分けて書きます-------

先日、小さな事が原因で、父と電話で口ケンカになりました。

私の夫が、近々車を買う予定で、気に入った車のナンバーを取ってもらえるように
車屋さんにお願いしている所なのですが

父「Mちゃん(夫)、車どなんなっとるん?」
私「ナンバーが、一桁ナンバーは人気があるから、
  ちゅうせん(抽選)になるって言われて、まだ取れるかどうかわからんのや」
父「なんや、意味わからんわ」
私「え?どこがわからんの?」
父「きゅうせんって所に行ってとるんか?きゅうせんってなんや?」
私「ちゅうせんって、宝クジのちゅうせんとかって言うやろ?」
父「ああ〜〜〜〜。ちゅうせんか。おまえ、きゅうせんって言うとったぞ」
私「きゅうせんって言うてないよ。ちゅうせんって言うたけど
  お父さんには、きゅうせんって聞こえたんやろ」
父「いやぁ、きゅうせんだった。ちょとまってよ。Y(弟)にもかわるから
  Yにも言うてみてくれ」

弟が電話に出るまでの間、
内心「もうええやん・・・。こんな小さい事くらいで」と思っていました。

弟「もしもし」
私「ちゅうせん」
弟「きゅうせん?」
私「ちゅうせん」
弟「もう1回言うて」
私「ちゅうせん」
弟「うーん、今のはちゅうせんって聞こえたけど。Y(義妹)にもかわろか?」
私「・・・うん」
妹「もしもし」
私「ちゅうせん」

そして再び、父が電話に出て
父「な!Yもきゅうせんって聞こえたって言うただろ」

(ダカラ、ナニ?)   ・・・・・ココで抑えられなくなってしまいました・・・・・

私「いちいち、こんなちょっとした言葉の聞こえ方くらいで
  電話で、たらい回しにして、あげくにお前が間違ってるって言い方されて
  キブン悪いわ!!!」
父「お父さん、そんなつもりだったんじゃない。
  こんな病気やし、自分が合ってるのか間違ってるのか
  わからない時があるから、もし自分が間違ってるんだったら
  間違いは認めないかんと思って、Y達にも聞いたんや」
私「何も、こんなどーでもええ事まで聞かんでええやろ」
父「別におまえに対してだけ、こんな風にしてるんじゃない。Yに対しても同じや。
  Yにも神経質になっとるって言われるわ。
  Yとよく 『言った・言わないのケンカ』 になった時も、おまえに聞いたりしてるだろ」

後になって思うと、私より父の方が冷静に話をしていた気がします。
私はこの時にはもう、頭に血がのぼっていたので
私「いつもみたいにケンカになって意見を聞くのじゃないやろ。
  たかが、言葉の聞こえ方くらいで、いちいち弟達にまで聞いて
  あーやこーや言うほどの問題じゃないやろ!」

すると父は、急に口調が変わり、感情のない棒読みのような話し方で
父「もうええ、わるかったわるかった。切るぞ」
と言って電話を切りました。

((注意))
   後日、父にも確認済ですが、この時の『わるかった』 という言葉は
   もうめんどくさいという気持ちで、投げやりに言ったもので
   決して、涙ながらに父があやまってきたのではありません。


確かに、父の気持ち、言いたい事は分かります。
病気のせいで昔ほど、自分の考えに絶対的な自信を持てなくなっており
不安なんだと思います。
最近は、普段の細かい事でも、よく私や弟に意見を聞いてきます。
私も、そんな父の気持ちは分かってるつもりです。

今までだって、電話での言葉の聞こえ方の違いは何回かありました。
私だけでなく、父や弟も聞き取りにくい言葉をしゃべった時には
お互いに確認し合ってきました。
なにもその度、ケンカしてきた訳ではありません。

でもこの日の私は、なぜか反応してしまったんです。
なぜ、こんなどうでもいい事で、父はいちいちムキになるんだと腹が立ちました。
周りの人達からみれば、病気のせいなんだから
そこはガマンするべきだと思う人も多いでしょう。
もちろん私だって、病気のせいだってことは分かっています。

なにも決してガマンしてない訳じゃないんです。
でも、気持ちを抑えようとするより前に・・・
理性よりも感情が先走ってしまって、どうしようもない時があるんです。