遠い昔のことは比較的よく覚えています

◎近くで話しましょう
少なくとも一メートル以内に近寄って話しかけます。テーブルやベッドなどを隔てて話したり、お年塑寄りが他のことに心をうばわれているときに話しかけても効果的ではありません。

また、目や耳の不自由なお年寄りもいます。認知症の程度、理解力、視覚、聴覚、言語などお年寄りのコミュニケーション障害を正しく評価して、もっとも効果的な位置や表現をとるようにしましょう。また、後ろから呼びかけると、お年寄りは振り向いてバランスをくずし、転倒することがありますので注意しましょう。


◎現実を知らせましょう
認知症状態の進行に伴って、時間や場所、自分と周囲との関係がわからなくなってきます。そのために現実を正しく理解できません。ことに認知症状態が軽度から中等度のころは、こうした状況の中で不安や焦燥感が強まったり、些細なことで混乱反応を起こしたりします。痴呆のお年寄りの不安や焦燥感、混乱を軽くするためには、介護者はじめ家族全員で、折にふれて現実のことを知らせると効果的です。これを二四時間現実見当識訓練といいます。
たとえば、朝お年寄りが起きたときに、「お早うございます」の挨拶のほかに、日時と曜日を知らせます。食事のときは、朝ご飯か、昼ご飯か、晩ご飯かをはっきりと知らせます。
「十時のおやつです」「夜です。おやすみなさい」と、時間に関したことのほかに、季節や場所、介護者がだれであるかなど、二四時間折にふれて家族全員で知らせるようにします。
認知症のお年寄りに行う現実見当識訓練では、そのときのことだけで、先のことは伝えないようにすることが、お年寄りの混乱をさけるうえで大切です9


◎昔の話を聞きましよう
認知症のお年寄りは、最近のことは覚えられませんが、遠い昔のことは比較的よく覚えています。昔の話のなかでは、不安や焦燥感も軽くなり、自信をとり戻して、生き生きとした表情で話したり、行動したりします。
お年寄りの過去を回想するときに、その人の最も輝かしかったころに視点を合わせることで、自尊心を高めることができます。しかし、お年寄りのなかには自分の過去に輝いた時代はなかったと思っている人もいます。また昔話のなかには、そのお年寄りにとって重大な出来事が繰り返し登場します。

たとえば一○歳のとき父親を亡くした八二歳のNさんは、どのテーマにも必ず出てくる思い出は、「十のときお父さんが死んだの。隣が肉屋で、うちははんこ屋よ。別荘にお客さんがくると、私、お肉を持って行ったの」。介護者が、「よく頑張りましたね。えらかったわね」と共感するまで何回も同じことを繰り返します。
辛く悲しかったことを思い出して泣くお年寄りもいます。太陽に輝く海辺で泳いだときのようすを繰り返し話すお年寄りもいます。介護者は、どのような話にも共感することが大切です。お年寄りと過去を回想するときに留意しなければならないことは、「今ならこうなのにね」とか、「私はこう思う」など話題を現在に移したり、介護者の意見をはさまないようにすることです。


お年寄りの回想を助けるものに、子供のころや若いころの写真、単純な絵のカードや思い出の花、品物などがとても役に立ちます。数人のグループで、「遠足」というテーマで思い出話をしたとき、リュックサックと水筒の絵のカードを見せましたが、だれも反応しませんでした。ところが、竹の皮にごま塩のついたおむすびを一個描いたカードを見せたところ、お年寄りの瞳が輝いて、「あつ‘、これを持って山に行ったよ」「河原に遊びに行ったわ」と、全員がおむすびを通しての思い出を語り合いました。家庭でお生寄りの思い出話を聞くときも、介護者がテーマを決めて聞くとよいでしょう。

たとえば、「漬け物のつけかた」「お正月の遊び」など。お年寄りの認知症の程度や若いころの生活、趣味などで介護者の期待通りにはいきませんが、話の中から学ぶことがたくさんあります。

〈ふるさとの言葉に耳を傾ける〉

 

八○歳のTさん(女性)は、松本市で生まれ、そこで一人暮らしをしていましたが、七○歳を過ぎたころ、息子と同居するために上京しました。共働きの息子夫婦にかわって、家事一切と孫の面倒をみていました。数年後、軽度の認知症状態になりましたが、家事や孫の世話はほぼできていました。

ある日、妹が危篤だという知らせがあって、一家で松本市に行きました。Kさんの痴呆状態は、その晩から急に悪化して、ひどい混乱状態となってしまいました。帰宅してからも状況は変わらず、息子夫婦や孫の顔もわからなくなってしまい、「家に帰らせていただきます」と風呂敷包みを持ってたびたび外に飛び出しました。出先で転倒し、頭部に外傷を受けて入院してきました。

Kさんは興奮してしゃべり続けましたが、断片的で意味はわかりません。若いころの出来事のようです。「よう、よう、私はどうすればいいの」と、目覚めている間中、わめきたてました。食事は何とか食べましたが、その他のケアには一切応じませんでした。

Kさんに近づいて話しかけると、ますます興奮して看護者に唾をかけたり、ひっかい
たり、蹴とばしたりしました。Kさんをなんとかトイレに誘導しようと思い、トイレ、便所、ちようず場などと、言葉を変えて誘ったものの、効果がありませんでした。
困り果てていたとき、松本出身の年配の看護婦が、幼いころ聞いた方言を思い出して、「しっこまる?」と声をかけたら、「まろうか」とKさんは、椅子から立ち上がって、看護婦の後についてトイレに行きました。Kさんは一人で排池をすませ、後始末もできました。方言で呼びかけたことで、了解してもらえた例です。


認知症のお年寄りの多くは、自分の年齢を正しく把握していません。したがって、自分が老人であるという自覚もない人がいます。そうした方に対しておばあちゃん、おじいちゃんと
呼ぶことは好ましくないことです。さらに、お年審鋤りの中には自分の名前を忘れている人もいます。八二歳のAさん(女性)は、結婚前の旧姓を名乗っていました。姓だけではなく、親が付けてくれた「いさお」という名を男のようだと嫌って、幼いころから、「お糸ちゃん」で通してきたため、入院した日から、看護者のほうが混乱してしまったことがありました。
八六歳のGさん(女性)は、「お名前は?」と尋ねられると、「そんなものどこかに捨ててきちゃった」といいます。「G・Mさんね」と問いかけると、「そうだったかしら? そんなもんね」と首を傾けて笑います。
認知症状態が高度になると、自分がだれであるかわからなくなってしまいます。自分の姓名を忘れるのは、男性よりも女性のほうが多いようです。現在、認知症状態にある女性は、女性が社会に進出して、自己主張するという機会は少なかった世代です。結婚すると夫から、「おい」とか、「おまえ」と呼ばれ、子供たちからは「お母さん」、孫からは「おばあちゃん」、近所の人からは「奥さん」と呼ばれてきました。姓名なしの生活が可能だったわけです。
認知症のお年寄りには、いつまでも自分がだれであるか自覚できるように、折にふれて姓名で呼びかけることはとても大切なことです。